昭和四十八年十一月十七日 朝の御理解

御理解第六十五節 「日柄方位は見るにおよばぬ。普請作事は、使い勝手のよいのが、よい家相じゃ。よい日柄というのは、天に雲のない、ほんぞらぬくい、自分に都合のよい日が、よい日柄じゃ。いかに暦を見て天赦日じゃと言うても、雨風が強うては、今日は不祥のお天気じゃと言うではないか。日のお照らしなさる日に良い悪いはないと思え。」


 もう、百年も前の当時の日本に、金神游行説と言うのが非常に根づよく、まあ、はびこっておった。普請作事は言うに及ばず。旅行、いわゆる旅立ち又は、着物一つ仕立てるでも日柄を言った。
 種播きするにも、田植えをするにも、やはり日柄を言わなければ、普通なら動きがとれないという程しの、これはもう想像以上であったと思うです。
 今の迷信を笑う人達が、今でもまだ、然も文化人と言われたり、称される人達が、やはり日柄を言うたり、方角を言うたり、愚にもつかない迷信に煩わされておるわけです。もう、結婚なんかの場合でも、尚更ですけれども、やはり大安吉日を選ぶ。
 死んでも生きてもそういうような、いうなら、友引であったなら葬式を延ばす。もう、何とも言いようのないような窮屈な生活をして、今でもまだ、私共、想像のつかない程の、そういう社会情勢の中にあってです、このように堂々とです、いわゆる胸を張って、教祖がいわゆる、当時の社会に呼びかけられたと、教えられたという事は大変なやっぱり勇気の要る事と思いますね。
 もうその為には、もう大変な反発があったんです。同時はその日柄方位と言ったような、ものを観ることを商売にしておる山伏、修験者、いわゆる山伏修験と言ったようなまあ、いわゆる拝み屋さんといったようなところでは、それはもうとんでもない事という。
 ですから、そういうのを、いうならば、一蹴するような、例えばこのように教えておられるわけです。
 大変な私は勇気と確信を持っておらなければ、こういう教えはなされなかっただろうと思う。そういう意味で教祖様は、おとなしい円満なお方とばかりは言えない。
 これが本当だというところは誰が何と言ったところで、言って抜けられた。行うてのけられたという程しの勇猛心を持っておられたという事がわかりますね。
 又は今日はせめて金光様の信心さして頂くものが、こういう迷信を言わんですむだけの、いや然も堂々と胸を張ってです、ああ、そういう事は馬鹿げた事ですよと、そいう事はありませんよ、日柄はいいですよと、自分の都合の良い日がいいのですからと、普請作事はもう使い勝手の良いのがいいのですよとこう、言える程の信心を、私は頂いて頂きたいと思うですね。
 まあ、昔から言うてきとる事じゃけん、やっぱり、ひょっとした事があっちゃならんけんで、やっぱここと、もうそういう心で金光様の信心を頂けるはずは絶対ないです。本当のおかげが、その位しか神様を信じてないのですから、本当のおかげが頂けるはずがありません。だからせめて六十五節のここんところをです、堂々とそげん言うてまわる事はいらん。事に直面した時にです、もうそういう事は愚にもつかない事である事をです、天地の道理にてらして、おかしい事はおかしい事として、言うてのけられ、又実行出来るだけの事は神意を頂きたい。
 そういう確信を持った信心を頂きたい。いくら拝みよったっちゃ、参りよったっちゃ、そういう事をまだ気にするような事では金光様の御信心を頂いとるとは私は言えないと思う。
 今日はだから、そこのところをです、今日はせめてこの六十五節だけでも、私共が金光様の御信者として、堂々として、私は金光様の御信者です、御信心を頂いとります。だから私共には日柄もなければ方位もない。もうそれこそ普請作事も、使い勝手のよいのが、良いのだという、自由無碍な、社会、世界にいわばお許し頂いて、一日おかげを頂いておるんだと。
 ここんところを私は一つ、信心のお道の信心の根本に、という事はそれだけ天地の働きを信ずる事であり、神様を信ずる事であり、教祖様が虚言をおっしゃるはずはないと。教祖様の信心を信ずる事になるのですから、これは私は、昔から言うて来たのだからいうような、弱い心では金光様の信心を頂けるはずは絶対ないです。
 今日私は或る人の事をお願いさせてもらいよりました。それはまあ見事な服です、和服です。着物を男の方ですけれども和服の方です。
 ところが長いんですね、背がもう、ぞろびいとる。着物は素晴らしい着物です。そしておこそ頭巾を被っているのです。
 その私は御理解を頂いて、今日六十五節を頂きましたから、この説明ではなくて、この御教えくらいは堂々と、わからない知ってない人達ではいわれるだけの確信を持った信心になって頂きたいという事を、今日は聞いてもらおうと思ったんです。
 どういう事かと言うとです、着物がどんなに良い着物であってもです、丈が長すぎたんではおかしいでしょう。
 ぞろぞろ引きずって行よる。勿論、おこそ頭巾は除かにゃいかんです。私は金光様の信心をしとりますと。という事をです、何かかくすような人があるですね。
 自分が信心しとるのを何か恥ずかしい事をしとるような人がありますね。私は金光教の信者だと堂々と言えれる、私は信者にならにゃ駄目だと思うです。
 こっそりと参って来る。おかしか。どこかおかしいところがあるか、金光様の御信心が。もうこんなに例えば素晴らしい、天地の道理を説きあかされ、天地の御恩徳をわからしてもろうて、天地の道理に対して神恩報謝の生活をさして頂く事を教えて下さるのです。
 しかも今日まで、日柄方位と言うたり、いわゆる迷信といその迷信を一掃して、もう自由無碍な日々の有難い生活をさして頂く事を教えて下さる信心がどこがおかしいか。だからそれを笑う者こそおかしいのであるから、堂々と胸を張って、あんた方の考えは間違っているよと。
 そういう事では日々窮屈な生活をせなけりゃならんじゃないかと言うてのけれる、私は度胸と確信をもっての信心にならなければいけないという事。
 勿論、丈だけが長いから側だんもがばがば、どんなによい着物でも、だからもう少し伸びよと、もすこし太れと言う事なんです。
 そして金光様の信心を堂々と私は、この着物じゃないけれども、あなたはよか着物を着とんなさるですね。これは何という着物ですかと問う、尋ねるくらいな信心を頂かにゃいけんです。
 その為には私が今日、願いよった人は今日参って来たら、それを言おうと思いよるけどね。あんたの信心は素晴らしい、ある意味では、けれどもあんたは信心をいっちょん伸ばそうとしない、太ろうとしない。そして金光様の信心しとる事を、いうならば、内場、内場に発表しきらん。
 そのくらいの度胸じゃ神様を信じとるとは言えないよと。私は今日言うてやろうと思っているんです。
 だから自分が、どんなによい一心を持っておってもです、良い性質の信心をしておってもです、金光教という素晴らしい着物を着せて頂いておる。その着物が丈も裄も丁度よいようなです、徳のために信心を、もう一段進めて行け、もう一段大きな心になれ、豊かな大きな、信心をせろと。
 いわゆる信心は、大きな信心がよい、大きな信心には迷いがない。小さな信心をするから迷いが起こる。迷いの起こらですむ堂々として、胸を張っての信心をしていくと言う事はです、とりも直さず教祖様を信ずる事であり、天地の大恩を知る事である ですから、おかげ頂くはずですね。例え信仰しよったっちゃ、人にも発表しきらんことで、そういう程度にしか、金光様の信心を貧弱に思うたり、人から聞かれたらおかしいごたる信心を、自分がしとっておかしなおかげしか頂かれませんよ。
 私達の信心に燃えておる時分は、もう汽車の中であろうが、電車の中であろうが、私は汽車の中に立ってから金光様の事を話よったです。
 電車の中でも隣に乗った人には、もう、縁が出来たと思うて、隣の人に何かきっかけをつくって金光様の信心の話を話したです。
 そのくらいに間違いのない神様である。又、この神様のおかげを頂かねば立ちゆかんのだ。この神様のおかげを頂いたら幸せになりますからという事です。
 なら、その時分に私が、形の上に於いては破れた靴を履いて、破れた鞄を下げておる時代ですから、けれども私の心の中はもう何と申しますかね、もう、有難さでいっぱいだったんです。
 だから、こういう難儀な中にあっても、こういう楽な、おかげが頂けれる道なんだという事を、私は伝えて行けれる信心にならにゃいかんと思うです。それも堂々と胸を張って言えれる信心を頂かねばいけない。
      ※      ※      ※      ※      ※ 昨日夕食にかかっとりました。そしたら福岡の三福の紹介で参って来とるというのです。それから私は出て参りましたら、高橋さんところの宅祭の時に、いつも手伝いに見えとる保険の外交なんかなさる方です。
 なかなかさばけた方です。その方が新たな人を導いて参って来ました。先生、この前の前日の大祭に、おかげを頂いて、私は知らなかったけれども、時々ここに参って来とったというのです。そして実はこの方が悩みがありますから、そんなら私がお参りしよるところにお参りしなさい。三福の大将がいつも参んなさるところですよと。 何処ですかと言うたら、合楽の金光様、金光様ならこの福岡にも沢山あるじゃないですか。その方は箱崎の方です。箱崎にも金光様はあるじゃないですか。
 いえ、そげな金光様とは違う。もうそれこそ堂々と私が言えれる神様だ。合楽の先生のいっぺんお取次を頂いて、あの悩みが解消するよと。というのでお導きをして見えた。そして私はお話を頂きよって、ああ、その縁というか、神様の不思議な縁と言うか、どこにも出来ているけれども、それを表しきっていないのですよ。
 その方は御主人が学校の先生をしておられる。佐賀で、福岡に転勤になって、十何年前かでしょうか、福岡に来た時にです、はじめてです、はじめて親子何人かで、お食事をさして頂いたのが、千代町の三福という食堂でしたとこういうのですよ。
 その時にあなたから三福を聞いた時にびっくりしたと、ほうもう、そういう前からこれは三福さんが参りござる、その合楽の金光様で助かるよと思うたとこういうのです。それはもう随分前の話なんです。
 はじめて、佐賀から福岡の方にやって来た時にですね、一番はじめに家族中でお食事によばれたのが千代町の三福という食堂だったという。
 もうその時分から縁が出来とったというわけなんです。そしてその方が言われるのにです、もう三福の大将はもう、本当に合楽一点張り、金光様一点張りで、もうそれこそ金光様の有難い事を堂々として説かれる。堂々として話される。
 私は大体はじめ、無神論ですから、大学まで出てからどうして、神様てんなんてん迷信的な事をせらっしゃるじゃろうかと、おかしかった。
 ところがあそこの大将の言われる事、される事、段々見たり、聞いたりして行きよる内にです、第一ね、三福のお母さんが変わらっしゃった。
 もうあそこの婆ばかりは、鬼婆のごたる奴じゃと実は私は言いよった。もう、そりゃ、嫁さんに物言わんしゃるてんなんてん、もう噛みつくごと言いござった。
 そして奥さんの友達の友達になるんだそうです。だから高橋さん、郁枝さんがもうとてもかわいそうなかわいそうなと思いよった。ところが最近の婆しゃんがね、合楽に参んなさる。合楽に時々参って話を聞きなさるという事を郁枝さんから聞いとったがもう、婆しゃまが変わんなさったので、第一私が驚いとるです、郁枝さんが、ああいう中に辛抱しぬいとるとも、教えに基づいてと、大将は言うに及ばず、それで私も信心さして頂く気にてったとこう言うんです。
 それはもう、堂々として、お客さんにでもそれが言えれる。保険の外交に来た人にでも話せれる。そういうものを身につけて行かねば駄目だと思うです。
      ※      ※      ※      ※      ※ 昨日は上野さんのところのお父さんの立ち日でした。祥月命日というのじゃないですけれども、十六日という、二月の十六日に亡くなって、十六日はですから朝から何とはなしに、そわそわする。
 今日はせめてお好きであったお神酒の一つもお供えさせてもろうて、甘な辛な、何か出来ん中からお供えしてもらうと、霊様に御挨拶してもらいたいというお届けがあっておった。そこで私は四時の御祈念に合わせて御礼を申さして頂いた。
 本当に私はいつも思うんですけれども、親が子を想うという事も切ですけれども、子が親を想うというものも切だなという事です。
 親の事は子が願い、子の事は親が願い、願い合いをいたせ、丁度あのこと参ってこんのですけど、北野の秋山さんが参って見えた。私は四時の御祈念をお取次さしてもらいよったら、四時の御祈念がもう四時半になった。そしたらその話を聞いてから、いや、ちょっと不思議な事じゃある。私は久留米の必勝堂の前ば行ったり来たりしたから、ある意味で迷うた。はじめてシュ-クリ-ムを買ってきとった。
 これを娘が好きじゃけん買うていってやろうと思うて買うた。今日の御霊様が受けて下さったじゃろう。霊様のお供えしてくれというわけで、もうそれこそほんに驚くばかりでした。
 もう、自分も大変感動しとった。まあ、そういう事を取りつかねて神様にお取次さして頂いたらね、一番先に頂くのが、親という字を頂いた。
 親という字をいっちょ書いて見てごらん。立つという字が書いてあって木が書いてある。そして、見ると書いて親と読む。親の心というものはです、どまぐれ息子がおって、家を出て行っとる。そすると夜中にでも、カタンと言ったら、ああ息子が帰って来たとじゃなかろうかと思うて出て見ろうごとある。
 帰りが遅ければ、木の上に立って見る心。もう帰ってだん来よらんじゃろうかと思うて見る。木の上にでも立って見る心、それが親だと言われておる。
 だから親という字は木の上に立って見ると書いてある。それが親心なんだ。その親心なんだが、その親という字を頂いてね、その親という字の立って見るというところと、こうして綺麗に消して行くところを頂いた。どういう事だと思いますか。
 木の上にね、木の上に立つという事は、だから親の心配という意味でしょうが。木の上に立って見る。丘の上に上がってから、もう帰ってだん来よらんじゃろうかと思うて見る。それは親の不安であり、親の心配なのだ。
 だからそれを消して頂いたと言うことは、上野先生がこのように一生懸命信心させて頂いとるからね、もう、この人だけはどこにおっても、置いてとってももう、大丈夫だと親が安心したという意味なんです。素晴らしいですね。
 私は、その御理解を頂いて非常に感動いたしました。親孝行という事は撫でたり、摩ったりする事じゃありません。金殿玉楼のようなお家を建ててやってもです、親が不安でたまらんじゃったら、それは親不孝です。 あの人だけはもう安心、どこへ出しても大丈夫だと、親が安心してくれるような子供になる事が親孝行なんです。
 霊様がお父さんの霊様が、もう愛子だけは、もうあれだけ信心を頂いておるから、どこに置いておっても、どこにおっても親が安心しておるという事なんです。
 こげな親孝行があろうか。その上お神酒が好きじゃったというて,お神酒の燗酒から、そして甘な、辛な揃えてのお供えさしてもろうているのですから、その上撫でたり、摩ったりしておるのですから、親に大安心してもらっという事なんです。
 私はそういう信心が土台にならなければいけない。お道の信心は。親に不孝しよるというものは誰もおりゃしません。いっちょ親ばこねちゃろ、親ば困らしちゃろという子はありません。
 親は大事にせんならん事はわかっとるけれども、只、せんだけの話。だからそういう人達が親が死んだらです後悔せんならん。
 親孝行したい時には親はなしなんて、そりけちゅうて、親不孝しようと思うてしたとじゃないけれども、そこで信心さして頂くものは、まず、親孝行がしとうてたまらんという気になれと私がいう。
 親に安心してもらう私にならして下さいと願えと私が言う。これが信心の根本です 天地の親神様に安心して貰える氏子、天地お親神様に喜んでもらえる氏子にお育て下さいと願えと私が言うのです。
 それが何か自分が貰うこつばっかり願う信心で、本当のおかげが受けられるはずがない。親に喜んでもらえる。親に安心してもらえる自分にならして下さい、娘にならして下さい。天地の親神様の御心に適う私、親神様に安心してもらえる氏子にお取立下さいというような、願いをもって信心が、そういう信心が中心になっ行くところからです、神様はもう、いやが上にも喜ぶを送って下さる。
 信心の有難さがわかってくる。その有難さで、天地の親神様の間違いなさをわからしてもらう。金光大神の教えの絶対のものを体得して行く事が出来る。
 そこにはじめて、胸を張って金光教を語れれる氏子にならしてもらう事が出来る。 胸をはってこの六十五節は、せめてね、ここだけくらいはです、堂々と胸を張って金光様の信心を頂いとる私は、そんな事は全然問題はない。日柄もなければ方位もない。普請作事はもう使い勝手のよいのが、よいのだという事を実証して行けれる信心 高橋さんの場合、例えば、家族の上におかげを実証しておられるから、堂々と言えるのである。
 どんなに素晴らしい金光教というよい着物を着とっても、それをずるずる引っ張って行きよる着物じゃおかしい。だから頭巾を被って顔をかくしとる。堂々と言えない だからまずは、自分自身が信心によってです、豊かになる、それは太る、伸びる。 その太る、伸びるという根本のところは、どこをもって太るかというとです、神様に喜んで頂く氏子、いうならば、親に安心してもらえれる人間にならして下さいというような、内容をもって信心は伸びて行くのである。
 限りなく、親孝行というものは、もうこの位でよかろうという事は絶対ないのです もう限りがないのです。信心がそうであるように、ですからそういう根本的な姿勢をもってです、例えば堂々と胸を張って金光教の信心を話せれる、どうぞ私を見てくださいと言えれる信心を頂きたいですね。
どうぞ。